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鞍馬火祭り♯3

子供たちの御旅所参りの後、いよいよ大人の松明も出発の時を迎えました。

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ひと際大きな松明に火が着けられると周囲から拍手が沸き起こり、その炎が鞍馬の町を明るく照らしだしました。
まだ電球が無い「明かり=炎」の時代、洛北・鞍馬に暮らす人々(その時代を生きる人々)にとって「鞍馬火祭りの炎」は、今以上に特別な灯りだったでしょう。
そんな事は既に分かりきった事!なのですが、それを改めて感じたのも祭りのお陰かも知れません。

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あちこちで松明にが灯され「サイレイヤ、サイリョウ」の勇ましい声(囃)が町中に響きます。
いったい幾つの松明があるのでしょう?大きな松明は近くを通り過ぎるだけで「熱さ」を感じる程のもの!
鞍馬の空に舞う炎は、やがて京都の天をも焦がす程、もちろん実際の炎だけでなく祭り衆と観客の熱気も凄いのです。


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a/b 幼い子供たちを円陣に迎え、大人たちによる「サイレイヤ、サイリョウ」の音頭(囃し立て)がはじめました。
彼方此方で始まるこのような光景・・・これは即興なのか神事の一つなのか?私にはわかりませんが、やはり心打つ光景です。
最初は声の迫力に驚いていた子供達、この子たちにとっては「鞍馬火祭の洗礼」だった事でしょう!
それでも次第に大人を真似て身体を揺らし音頭を取り始める子供もいました。
その様子を観ていて「あぁ、成る程な~」と、伝え受継ぐと云う言葉が僕の頭にすんなり入ってきました。

c 氏子はもちろん観客の皆も此処に集い、この円陣を中心に大きな輪が出来上がっていきます。これぞ祭りと云う風景ですね。

d そうしているうちに此方では御旅所参りを終えた子供の松明が自分の家に戻ります。
でも祭りはまだほんの序の口、此れから日にちをまたいで様々な神事が執り行われていきます。


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Commented by revoir-dima at 2016-10-30 15:31
祭りと一言で言っても私たちは派手で華やかな所しかほとんど見ませんし、なかなか目にするチャンスはありません。
しかしどの祭りも数日、数ヶ月も前から小さな儀式があり、それらが繋がり本祭になります。
そういう部分をキチンと見てみたい思いもありますが相応の勉強もしていかないと失礼だし。
本当のコアな部分は、一般には見られないのでしょうね。
Commented by hanashigai at 2016-10-30 21:31
> revoir-dima さんへ
dimaさんのおっしゃるとおり僕も一般観客ですから祭りの表面の華やかな部分しか見えてないと思ってます。
鞍馬火祭は5月くらいに松明に使う柴刈りを山で行うことから始まるのだそうです。
それからも様々な行事・儀式を経て実に六ケ月の期間の後10月22日を迎えるのですから、
祭りを深く知りたい気持ちを叶えるのは不可能に近いことなんですよね。
それは氏子であっても長い年月をかけて体験で学んでいくことでしょうし、
生半可な気持ちで関われない覚悟を要する領域も沢山存在する筈で、
特に世襲制で受け継がれる鞍馬火祭りは町衆にしか知り得ない体験も多々あると想像するのです。
各地で偶然に出会い最初は何も知らずに観た祭りでも、引き続き興味を抱けば「自分なりの勉強」で知識を得て適度な距離感を持つ・・・
僕自身ではその距離感が心地好いと思っています。
ほんの断片に接した時に知った知識は、やはりほんの表面的な物であるのが当たり前で、
その後にどれだけ学んでもそれは「単なる知識」に過ぎないと自覚して接するように心掛けています。
どれだけ学んでも「自分は無知だ」くらいがちょうど良く、その事を自覚した上で接するのが、
実は「礼儀をわきまえた態度」と考えています。
僕の思考は何にしても「表面に見える魅力を前にして、そう見えるにはそれなりの何かが内包されていると考え、それを勝手に想像して楽しんでる」と自己分析しています。
実はこの辺りを述べた鞍馬火祭♯4(最終回)が編集済みですが、もっと簡素に編集したいと思います(笑)


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by hanashigai | 2016-10-29 19:00 |   ├ 京都の祭り | Trackback | Comments(2)