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鉄道で泣いた日#3 プロムナード

さあいよいよ0系新幹線が展示してあるプロムナードエリアへ
と言っても、京都鉄道博物館の屋内展示を観る為にはプロムナードエリアは通り道なので、この日2度目の観覧です。
※入館してエントランスを出るといきなり0系新幹線が視界に飛び込んでくる此処で、テンションが上がっていくのを感じながら「自らを落ち着かせるために」一旦あえて軽く流す感じにとどめておいて、先ずは本館に入ったのです。まぁ本館でも直ぐにテンションMaxになっちゃうんだけどね(笑)

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0系新幹線の先頭車両って形が好いよね♪此の時代の鉄道において確立されていた鉄道技術の最上級が新幹線電車。限界速度やエネルギー効率を追求するだけでなく「格好良さ」も意識してバランスされたデザインだと思う。

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これを撮っている時、春休みか夏休み時期に再訪しようと決めた。駅ホームに入線した新幹線と大勢の乗客が居るイメージで撮りたいんです。

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新幹線は運転台の見学が出来ます。0系の乗務員用扉の幅がやたら狭くて驚いた!新幹線電車の運転乗務員になるには体型制限もあったのかも?仮にそれなら乗務員さんにとっても「夢の超特急」だったのだろうな~。
中に入って見学可能な客室は座席が外されて資料展示室になってたけど私には物足りなかった。「夢の超特急・ひかり号」の称号が最も相応しい0系新幹線電車の展示資料にしては、あっさりし過ぎていると思ったので。

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このショットはかなり気に入ってます。在来線と同じホームに新幹線が入線なんてことは無かったのだろうけど、こんな風景を当時に観たような気持ちになってきます。もっと駅ベンチとか時刻表とかも展示して全体を作り込んでもよいのでは?と思いました。

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新幹線の車窓から。こう云う見え具合が凄く好き(笑)実際に鉄道旅をしてたら、こんな光景とすれ違っていたのだろうな。それにしてもブルトレ格好良いね♪

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小さなお子さん連れの親子が迫って来たので狙ってみる…と、この時ファインダーに映し出される光景に、発車を待つ車両と列車から降り改札に向かう親子に見えた。

プロムナードエリアには0系新幹線電車の他に蒸気機関車・ディーゼル機関車・在来線電車や寝台客車など、計12両の鉄道車両が展示してあり見応えたっぷりである。

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0系新幹線電車は1964年(昭和39年)10月1日の東海道新幹線開業に合わせて開発・製造された「未経験の新技術は盛り込まずに経験実証済みの技術を集めて製造し、さらに将来の改良余地を残す」手堅いコンセプトで開発された初代新幹線電車である。

敗戦から約11年後のまだ決して潤沢ではない日本経済のなか発案された新幹線計画が、後に日本の戦後復興を象徴し、また経済を牽引するリーダー的イメージの役割を期待された一大プロジェクトだったのは皆さんが知る通り。

そして東京オリンピック(1964年10月10日~10月24日)開催までの時間的猶予が、計画発案から約8年間しかない中、車両開発・運行システム設計整備・駅や軌道線路等各施設の建設整備・乗務員の運行訓練などなど短いスケジュールの中で終えるには、手堅いコンセプトで作らざるを得ない事情もあったと想像する。

それでもあの時代に計画当初から確実性・安全性を万全に整えつつ新幹線開発計画を進め、世界初の高速鉄道、夢の超特急として完成させた日本の新幹線は、その後の世界の高速鉄道開発への影響・発展に貢献した筈。
日本の新幹線計画と0系新幹線電車は紛れもなく「世界初・完全オリジナル・日本クオリティ」であり、世界の高速鉄道の礎としての存在であるのは間違いない。

1945年09月02日:ポツダム宣言調印・太平洋戦争終戦(日本のポツダム宣言受諾は同年8月14日)
1956年05月10日:東海道新幹線実現可能調査開始。
1957年06月29日:日本電波塔(東京タワー)着工。
1958年12月19日:新幹線計画の承認。
1958年12月23日:東京タワーオープン。
1959年01月10日:東京タワー運用放送開始。
1959年04月20日:新丹那トンネル熱海口で起工式(着工)
1961年05月01日:世界銀行融資から新幹線計画に貸付け承認。
1962年05月**日:試作車完成(同月21日より試作車の走行試験開始)
1964年07月01日:東京~新大阪の約500キロ全線開通(同月25日より全線試運転開始)
1964年10月01日:新幹線の営業運転開始。
1964年10月10日:東京オリンピック開催

※1964年(昭和39年)10月1日~翌年10月31日までは東京~新大阪を4時間で運行。ひかり号が同区間を3時間10分で運行したのは同年11月1日からであった。
※当時の欧州の高速鉄道(時速200km/h超の設計速度を持つ)は、1966年・西ドイツが在来線の最高速度を引き上げて運行開始したが、高速新線開業は1991年6月まで待つ事となる。フランスは1967年から本格的研究を開始し、営業運転は1981年09月27日からの事で、新幹線開業から実に17年後の事である。
※0系の系列称は1980年(昭和55年)の東北・上越新幹線車両200系の登場により、系列分類の必要性によって与えられた系列称である。


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Commented by G7_2007 at 2018-01-21 21:50
若い頃は0系で東京日帰り出張(始発&終電)をよくしましたよ...
当時はまだ下りの最終が東京20時発だったので、焦ったものでした。
ヘトヘトになって、帰りは3列シートが全部空いていたら横になって寝たこともありました... (^^;;
Commented by dima02 at 2018-01-22 10:59
昔、ジュネーブでTGVにどうしても乗りたくて駅に行くもでも全席完売。それでもまぁ何とかなるかなと思って乗ってみたら、デッキ部分に私みたいな人がたくさん居ました。全席指定で自由席無しでも、乗れるんだと初めて知りました。
Commented by hanashigai at 2018-01-22 19:57
>G7_2007さんへ
0系で東京日帰り出張!そうかそう云う時代を作ったのも新幹線なんですね!
下り最終が東京20時発でも大阪に着くのは23過ぎですから、更にご自宅までの交通の御苦労も想像します。
僕は0系の鮮明な思い出が無いのが寂しいです。
Commented by hanashigai at 2018-01-22 20:04
>dima02さんへ
実は昔は0系よりもTGVの方が格好良く見えていました。
それに乗車した事があるなんて羨ましいなぁ。
そう言えば僕も何かのデッキ部分で移動したのを思い出しました。でも何の電車だったのかを思い出せない(^_^;)
Commented by aitoyuuki32 at 2018-01-22 22:07
実家の時計店が国鉄の購買に出店していた関係で
新幹線の試運転に乗った記憶があります

まだまだ新幹線口のコンコースはまだ工事中で
工事現場を通りながら新幹線に乗った記憶があります
名古屋から豊橋まで乗って戻ってきました

実際に乗っている時の記憶はまったく無いのが残念
Commented by hanashigai at 2018-01-23 00:02
>aitoyuuki32さんへ
なんと新幹線の試運転に乗車したのですか!それはとても貴重な体験ですね!!
記憶がないのは幼かったからか?興味が無かったからか?興味あります(笑)
どちらにせよ羨ましいです♪
新幹線は開業スケジュールに間に合わす為に、大勢の関係者が大変なご努力をされて完成したのですよね。
あの頃の日本って凄いパワーあったんでしょうね。
Commented by croix7ley at 2018-01-24 16:25
今更ながら、本年もどうぞ宜しくお願い致します^^

鉄道博物館、今年は行ってみたいと思っています。
鉄道好き、写真好きの方々でいっぱいなのでしょうね。
0系に乗ったこと、多分一度だけあります^^;
当時は松本⇔新宿間の特急あずさに1番乗る頻度が高かったので
あまり新幹線には縁がなかったのですが
やはり最初に乗ったときの興奮は忘れません....
名古屋から博多まででしたが夢のようなひと時でした。
Commented by hanashigai at 2018-01-24 19:22
>croix7leyさんへ
こちらこそ本年もどうぞ宜しくお願い致しますm(__)m
leyさんも京都鉄道博物館は未体験なのですね。
私は平日の来館でしたから館内は空いてて、ゆっくり存分に観てまわれました。
鉄道好きの方はもちろん、お子さん(お孫さん)連れの御家族、そして近所の保育園からの団体の園児ちゃんたちも、それぞれの楽しい時間がを過ごされているご様子でした。
特に鉄道が好きでなくても「幼い頃の体験」を「懐かしく思い出せる」素敵な場所だと感じてます。
「0系」の思い出はもちろんですが「特急あずさ」に乗る事が多かった!と云うのがすご~く羨ましいです。
「あずさ2号」と言えば「狩人」ですね(御存じないかな~笑)
Commented by view-finder at 2018-01-26 18:25
ご無沙汰しており申し訳ございません。
鉄道で泣いた日シリーズ・・・まだ続くようですが、すごく楽しませてもらっています。
これは筋金入りのマニアでなくても十分に楽しますね。子どもの頃の思い出がある人でしたら
本当に泣いてしまうかもしれません。

僕は、0系新幹線は幼い頃に乗ったことがあるようですが、あくまでも親から聞いた話で、自分では
全く記憶にありません。結局、物心がついてからは一度も0系に乗ることなく退役してしまいました。
なので、「絵本の中でしか見たことがない憧れの電車」なんです。

エル特急はリアルな記憶として僕の中にもあります。すごく懐かしいですね。

それにしても、こんなにとてつもなく素晴らしい施設が近くにあるのに、2年近くも行かなかったのですね。
これからはどんどん通ってください!(笑)

続編を楽しみにしています。
Commented by shibazo-a7 at 2018-01-26 19:40
0系懐かしいですね。
デッキに給水器があって、そこでお水を飲むのが楽しみでした。
座席には灰皿が備え付けてあって、それを出したりしまったりして遊んでいました。(笑)
夜の国道一号線沿いの線路で見た、パンタグラフから青白い火花を派手にスパークさせてかっとんで行く姿が格好良かったな~
Commented by hanashigai at 2018-01-26 21:01
>view-finderさんへ
此方こそ御無沙汰しておりました。今年も宜しくお願い致しますm(__)m。
「鉄道で泣いた日」シリーズを楽しんでいただけてるとの事で僕も嬉しいです。
此処は日本の昭和オヤジなら殆ど泣くんじゃないか?って程に、泣き所満載(笑)の博物館だと思いました。
併設されている「梅小路蒸気機関車庫」も泣きどころ多いですが、40年代生まれの僕にはエル特急・ブルートレイン・新幹線0系には無性にウルウルしちゃうんです。
※でも僕、実は0系新幹線はたぶん乗った事が無くて、似た形の200系新幹線(上越新幹線)に乗っているようです。
view-finderさんの「絵本の中でしか見たことがない憧れの電車」っての凄く分かります。
何と云うか僕の世代の「ヒーロー的存在」と云うような感じなんです。そして年表に「東京タワー」を入れたのもそれなんです(笑)
※あと僕には同列ヒーローにB747がありますが米国製なのと、まだずっと後に出てきた飛行機なんで年表から外してます。
最近は0系新幹線、エル特急、ブルトレ、それ以外の緑/橙色の列車の国鉄カラ―が、それぞれの特徴を表す為に考えられ完成した美しいデザインも好と思っています♪
因みにオープンして2年近くも行かなかったのは「凄い混雑だったから」なんです。
次回がシリーズ最後ですがお付き合い宜しくお願い致します。。
Commented by hanashigai at 2018-01-26 21:10
>shibazo-a7さんへ
shibazoさんは0系体験ありなんですね♪いいなぁ~♪♪
デッキに給水器、あの時代の特急やブルトレのと似てる筈なので思い出共有できそうです(笑)
あの時代のデッキはトイレや洗面もあって独特でしたよね。
そして灰皿遊びも漏れなく体験しております\(^o^)/
それにしても皆さん、乗った乗らなかったにせよ思い出あるんですね~♪
Commented by renchiyan3 at 2018-01-28 05:25
おはようございます
やはり新幹線この形が一番好きです 年解ってしまいますね
Commented by hanashigai at 2018-01-28 06:09
>renchiyan3さんへ
おはようございます
僕も同感です。新幹線は0系でこの初期カラーデザインが一番好きです♪
互い昭和オヤジですね~\(^o^)/
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by hanashigai | 2018-01-21 19:00 | 鉄道風景 | Trackback | Comments(14)