2016年 10月 29日
鞍馬火祭り♯3
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revoir-dima at 2016-10-30 15:31
祭りと一言で言っても私たちは派手で華やかな所しかほとんど見ませんし、なかなか目にするチャンスはありません。
しかしどの祭りも数日、数ヶ月も前から小さな儀式があり、それらが繋がり本祭になります。
そういう部分をキチンと見てみたい思いもありますが相応の勉強もしていかないと失礼だし。
本当のコアな部分は、一般には見られないのでしょうね。
しかしどの祭りも数日、数ヶ月も前から小さな儀式があり、それらが繋がり本祭になります。
そういう部分をキチンと見てみたい思いもありますが相応の勉強もしていかないと失礼だし。
本当のコアな部分は、一般には見られないのでしょうね。
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hanashigai at 2016-10-30 21:31
> revoir-dima さんへ
dimaさんのおっしゃるとおり僕も一般観客ですから祭りの表面の華やかな部分しか見えてないと思ってます。
鞍馬火祭は5月くらいに松明に使う柴刈りを山で行うことから始まるのだそうです。
それからも様々な行事・儀式を経て実に六ケ月の期間の後10月22日を迎えるのですから、
祭りを深く知りたい気持ちを叶えるのは不可能に近いことなんですよね。
それは氏子であっても長い年月をかけて体験で学んでいくことでしょうし、
生半可な気持ちで関われない覚悟を要する領域も沢山存在する筈で、
特に世襲制で受け継がれる鞍馬火祭りは町衆にしか知り得ない体験も多々あると想像するのです。
各地で偶然に出会い最初は何も知らずに観た祭りでも、引き続き興味を抱けば「自分なりの勉強」で知識を得て適度な距離感を持つ・・・
僕自身ではその距離感が心地好いと思っています。
ほんの断片に接した時に知った知識は、やはりほんの表面的な物であるのが当たり前で、
その後にどれだけ学んでもそれは「単なる知識」に過ぎないと自覚して接するように心掛けています。
どれだけ学んでも「自分は無知だ」くらいがちょうど良く、その事を自覚した上で接するのが、
実は「礼儀をわきまえた態度」と考えています。
僕の思考は何にしても「表面に見える魅力を前にして、そう見えるにはそれなりの何かが内包されていると考え、それを勝手に想像して楽しんでる」と自己分析しています。
実はこの辺りを述べた鞍馬火祭♯4(最終回)が編集済みですが、もっと簡素に編集したいと思います(笑)
dimaさんのおっしゃるとおり僕も一般観客ですから祭りの表面の華やかな部分しか見えてないと思ってます。
鞍馬火祭は5月くらいに松明に使う柴刈りを山で行うことから始まるのだそうです。
それからも様々な行事・儀式を経て実に六ケ月の期間の後10月22日を迎えるのですから、
祭りを深く知りたい気持ちを叶えるのは不可能に近いことなんですよね。
それは氏子であっても長い年月をかけて体験で学んでいくことでしょうし、
生半可な気持ちで関われない覚悟を要する領域も沢山存在する筈で、
特に世襲制で受け継がれる鞍馬火祭りは町衆にしか知り得ない体験も多々あると想像するのです。
各地で偶然に出会い最初は何も知らずに観た祭りでも、引き続き興味を抱けば「自分なりの勉強」で知識を得て適度な距離感を持つ・・・
僕自身ではその距離感が心地好いと思っています。
ほんの断片に接した時に知った知識は、やはりほんの表面的な物であるのが当たり前で、
その後にどれだけ学んでもそれは「単なる知識」に過ぎないと自覚して接するように心掛けています。
どれだけ学んでも「自分は無知だ」くらいがちょうど良く、その事を自覚した上で接するのが、
実は「礼儀をわきまえた態度」と考えています。
僕の思考は何にしても「表面に見える魅力を前にして、そう見えるにはそれなりの何かが内包されていると考え、それを勝手に想像して楽しんでる」と自己分析しています。
実はこの辺りを述べた鞍馬火祭♯4(最終回)が編集済みですが、もっと簡素に編集したいと思います(笑)
by hanashigai
| 2016-10-29 19:00
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