桜と鉄道の風景#4

e0272231_20505460.jpg
木知原(こちぼら)駅もファンの間では人気のスポットであるのは、このショットで説明の必要はないと思う。
国道沿いの線路脇に桜並木が連なり、此処から奥のカーブに消えていくまでの距離およそ600メートルまで続いている(正確にはカーブの先も桜並木)
この日も大勢の撮り鉄さんが大きな三脚を並べてスタンバイ中。常連さん達は300~600mmあたりで圧縮した絵を狙っているようでした。桜が舞っていればファンタスティックな画が期待できますね♪

e0272231_20511974.jpg
今回は本巣駅は寄り道しないつもりだったけど、一つ手前の踏切を走っていくタルテツカラーが見えたので急遽立ち寄り。
このカラーリングは今までは車庫に入っていたタイミングばかりだったのに、今日は頻繁に遭遇します♪これまでは何だったのか(笑)

e0272231_01140260.jpg
日当(ひなた)駅も春の風景が美しい駅。
手前側は山を貫いたトンネル、向こうには渓谷を渡す橋梁(また直ぐにトンネル)、その真ん中の僅かなスペース(橋を覗けば約87m間)に日当駅がある。神海駅から先の高科駅~樽見駅間は「樽見鉄道」発足後の開通だったというから、この険しい場所に在る駅も地域の人たち自ら造った駅ともいえる。それだけに思いが詰まってるのが駅全体の風景から伝わってきます。それの一つが桜なのです。

タルテツは何故に木知原駅から樽見駅の区間だけが桜が多いのだろう?とふと考え、止まらなくなったので樽鉄年表と国土地理院空中写真を観察しながら気になるポイントをピックアップして想像してみた。

1956/03/20(昭31)国鉄樽見線の開業・大垣~谷汲口間(21.7km)
1958/01/15(昭33)木知原駅を新設(谷汲口駅の一つ手前)
1958/04/29(昭33)神海駅までの延伸開業(+2.3km)に伴い、谷汲口駅が終着駅から中間駅に。
          ※この当時は両駅ともが一面二線(ホームを挟んで車両が行き違い入線できる構造)だったよう。
1984/10/06(昭59)樽見鉄道として再出発。
1989/03/25(昭64/平元)神海駅~樽見駅が延伸開業(+10.9km)※樽見鉄道樽見線の全線開通。

1956=62年前、1958=60年前、1984=34年前、1989=29年前となる。
空中写真は1975(昭50)=43年前・1991(平3)=27年前・1992年(平4)=26年前を参考にしていく。※本巣・谷汲・樽見あたりの空中写真は1975年の次が1991年になってしまうので。

先ず多くのソメイヨシノは60年程で寿命を終えるらしいから、沿線の桜は1958年以降に植樹された桜であると仮説した。
それを軸にして考えると国鉄から転換開業した34年前、延伸開業した29年前が桜を多く植えた時期では?と考察した。何故ならどちらも桜を植えるに相応しい記念の年だったのに加え、まだ老木ではでない大きな木・若木ではないがそこそこ大きな木・そしてまだ若い木の三通りに分別できる桜があるので、それぞれ理屈がそれぞれ合ってくる。

もう少し深く考えてみると、木知原駅と谷汲口駅は共に約60年前開業であるからその頃の桜では?とも一旦は考えられるが、やはり樹齢60年を越え、それに迫る老木桜には見えない。そして1989年までは神海駅が樽鉄の終点なので、当然ながら高科・鍋原・日当駅・高尾・水鳥・樽見の各駅はまだ存在しない。であれば当然ながら桜も無い。となるとやはり神海駅~樽見駅間の開通に合わせた約29年前あたりの1989年前後に各駅の周りや線路脇に沢山の桜を植えたのが濃厚だろうと推測してみた。

そして谷汲口駅構内と木知原駅線路横に桜が際立って多いのは、先ず木知原駅の新駅開業時に合わせて両駅に桜を植えてから後、谷汲口駅が一面一線の駅になった時…すなわちタルテツが全線開通した29年前に高科駅~樽見駅らと合わせて、谷汲口駅のかつての1番線跡地と谷汲口駅~木知原駅間の線路横にも更に桜を増やしたとすれば、他の新駅と同じくらいの桜が在るのもつじつまが合ってくる。

ここで国土地理院の空中写真を観察してみると、1975年カラー及びモノクロ写真では木知原駅と線路横の桜並木は存在していない様子であり、谷汲口駅にいたっては広い敷地の周囲をまばらに樹木が囲み、やたら白い地面に車両らしき影がいくつも確認できる。それは駐車場とバスターミナルも併設?もしくは造成中の工事車両かも知れないが、少なくとも今の桜風景は無い。
ちなみに神海駅より北の線路延伸予定地には橋が架かっていない橋脚があったり、線路敷地だけ造成されている様子も見れる。

一気に年代が飛ぶが、1991年11月カラー写真はコントラストが低くて分かり辛いけど、木知原駅と線路横には樹木の影が見えている。谷汲口駅の静態保存客車も既に搬入済みなのが確認できる。更に1992年4月モノクロ写真では両駅ともに樹木の影の様子がよくわかる。

今残されてる渓谷沿いの狭く険しい旧道を走ってみれば、鉄道が全線開通するまでの淡墨桜の里は秘境とも言える地域だった筈で、それは1975年以前の空中写真からはもちろん、1992年の空中写真の様子からも見て取れ、樽見駅までの鉄道延伸開通は地域の悲願であったのを想像するに難しくない。同時に地域と地域を密に結ぶ自動車道路の拡張整備が求められていたのも確実なのが此の時代。
国鉄時代が終わり鉄道存続と地域衰退化を心配したであろうなか、線路を伸ばし駅を新設して樽見鉄道として再出発の節目を迎えた1989年前後、鉄道会社と地域の人たちが募って鉄道と地域繁栄の願いを込めて桜を植樹した(事業の一環であった可能性もあるけど)に違いない。
延ばされた線路横や駅の桜たちが丁度揃って立派な樹形なのが発端で「樽見鉄道」の事はもちろん「私たち日本人にとっての桜がどのような存在なのか」や「桜を植えたくなる時」を考え、改めてこの地域と桜の関わりを知る切っ掛けとなりました。

樽鉄年表と空中写真を観て想像したに過ぎないので「最初の何故」の確定的な結論は出ないし、極めて断片的な情報しか得られてないけど書き留めておくことにしました。


[PR]
by hanashigai | 2018-04-15 12:00 |  ├ ナガテツ・タルテツ | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://hanasigai.exblog.jp/tb/27188951
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
名前
URL
削除用パスワード
<< 桜と鉄道の風景#5 京都の桜 祇園枝垂桜  >>